難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

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土日はずっと雨だった。土曜、昼から商店街へお出かけ。いつもなら颯爽と自転車で向かうが、傘さしてトコトコ歩いて行った。

悪天候にも関わらず、街は賑やかだった。音楽イベントが開催されていたようだ。ロック好きな感じの人たちで溢れかえっている。小さな個人経営の本屋さんにもたくさんのお客。すごい。これだと夜は居酒屋とかめちゃ混むだろうな〜と思いながら、混雑地点から遠ざかる。

骨付き鳥が有名な店で遅めの昼ご飯。大好物、久々に食べられて嬉しい。昼から飲むビールも最高。

 

腹ごしらえが済んだら、行きつけの角打ち酒屋へ向かう。転勤でわが街を去ってしまった友人から「土曜そっちに遊びに行くのでいつものとこで飲もう」と誘われていたのだ。

久々に再会した友人は、なにも変わっていなかった。いや、少し変わっていたかな。以前は「苦手だ」と言っていた日本酒が飲めるようになっていた。私も最近かなり日本酒を飲むようになったので、さっそく一本買って乾杯した。近況報告や思い出話、その他あれやこれや雑談をしているうちに、四合瓶はすぐ空になった。

 

以前はこういうことをワインでやっていた。変わるものと変わらないもの。

その後数軒はしごして泥酔状態になった友人を宿まで送ろうとしたが、途中のコンビニで「ここで大丈夫だから」と言われた。これも以前と同じだ。数え切れない回数いっしょに飲んだし、家の方向いっしょだったのに、家まで送ったことがない。あのときのように「ほなまた!」と別れた。

無事帰れたか知らんけど、またいつものとこで。

gagaga

NHKオンデマンドで『真田丸』を一気見したのち、続いて『山河燃ゆ』を見始めて、先日見終わった。1984年の大河ドラマ。これまで見た中で一番古い。

第二次世界大戦を扱ったもので、山崎豊子『二つの祖国』が原作。ちょっと前に小栗旬主演でスペシャルドラマをやっていた。見よう見ようと思って結局見なかったやつ。二夜連続で長かったから。なのに全51話の方を見るという。

 

アメリカ生まれ日本育ち日系二世の主人公が、日本でもアメリカでも酷い扱いを受け、それでも懸命にまっすぐ頑張り続けるんだけど、ずーーっと上手く行かず、最終的には死を選ぶ、という感じの、いったいなんだったんだ……ってドラマだった。

まあでもこの戦争自体が「いったいなんだったんだ」って感じだよね。「なんだったんだ、しょうもな」で終わりでいい。なのに最後までクソ真面目に向き合った主人公、可哀想だ。なんやねんこれってものにまっすぐ向き合う必要はない。

 

その点、沢田研二演じるチャーリー田宮は柔軟だと思った。権力にしがみついて、戦時を上手く生き抜いた。結局こういう人がストレート勝ちしていっちゃうんだよな世の中。友達とか家族にめちゃくちゃなことしてるのに「なんか憎めない」みたいなキャラだから交友も途絶えないのすごい。周りがいい人たちすぎるのか。

 

こういう人のが生きるの上手いよな〜とかわかるんだけど、なかなかそうは生きられない。こうすりゃボロ勝ちできる、ってわかってても「いやでもその手はあまりにも……」と思って引っ込めちゃう。

なぜなのか。勝ちロードをひた走る度胸がないのかもしれない。しんどそう。そういうことを考えるとチャーリーの人生も味わい深い。孤独に走り続けてたんだな。生きるのに上手いも下手もない。

Seiko

最近これといって書くことがない。いや、あるにはあるのだけど上手くまとまらなくて、下書き→削除になりがち。思考がぐちゃぐちゃになっているのかもしれない。とにかく書かないことにはまとまってもいかないので、何でもいいから書く。

 

先週からジョギングを再開した。以前は一日おきくらいにやっていたのだけど、寒いだのなんだのでしばらくやっていなかった。人間は油断すると怠ける生き物である。再開した理由としては、冬が終わろうとしているからで、そうなると薄着になっていくわけで、怠けに怠け膨れ上がった恥ずかしボディを隠しきれなくなる。それが嫌だからだ。

私はTシャツが好きで、色々なデザインのものを集めている。なかなかこだわって買っているつもりなので、どれもめちゃ気に入っている。なのでいい感じに着こなしたい。せっかくカッコいい、またはカワイイTシャツなのに、体型のせいで残念な感じになってしまうのが嫌なのだ。すっきりさせるぞ。

 

やっぱりジョギングは良い。このくらいの運動はしとかないとダメなんだろうな。走り終わったあと、気分がいいし頭もよく回る。日記また書こうという気が起きてきたのもジョギング効果かもしれない。

 

先週末、コロナ以前に数回行ったことのある個人経営の本屋さんを覗いてみた。特に理由はないのだけど、なんか行きにくくなって、気づいたら数年行ってなかった。そういうのありませんか。

探していた本は売り切れで無かったのだけど、いろいろ見ていると面白そうな本がいっぱい見つかった。あれもこれも欲しいが、一気に買っても仕方なし。余裕もなし。一冊だけ買う。他のはまたの機会に。

 

街ブラしててこういう素敵な本屋さんにフラッと立ち寄れるのは最高だ。いい街に必要なのはいい本屋。あとのんびりできる公園。ぼーっとできる川。わが街は海に近いのだけど、海辺はあんまり落ち着かない。やっぱ川ですよ。

その本屋さんから歩いて数分のところに市民憩いのでっかい公園がある。道中にケバブ屋さんがあるから、本買ってケバブ買って公園でゆったり読書みたいな休日もアリだ。文化すぎる。はやく暖かくなって欲しい。文化をするぞ。

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2月が終わった。今月はインプット量がめちゃ少なかった。なので当然アウトプットも少ない。よろしくないね。

 

知識が増えていくのは楽しい。そしてそうやって楽しく仕入れた知識を、雑談で上手く使えるともっともっと楽しい。

何も持たない私は、知識で人間世界に混ざり込んでいるなあと思う。知っていることが増えると、話せることも増える。そうすると、話せる人も増えていく。知り合いが増えていくと、その中に気の合う人も見つかったりして友だちになって、楽しさは広がっていく。とてもいい営みである。

 

だから今月みたいにインプットが貧弱なときは焦ってしまう。世界から取り残される気がする。置いて行かれたくない。

というか単純に楽しくて大好きなことに打ち込めてないってのがヤバい。だから「調子悪い時期なんだな」と思ってしまう。

 

友人が単身赴任を終えて帰ってきたので、久々に飲みに行った。色んな話をして刺激をもらった。

人生なんて何の意味もない。だた生まれて、死ぬだけ。それだけなんだけど、でもどうせならおもしろおかしく、ちょっとでも楽しいものにしていこう、そうやって生きている人が私は好きだ。無味乾燥じゃつまらない。

 

その友人には負けない。私も楽しくやるぞ。

届いたはいいものの読む気になれず積んでいた本を手に取った。

おちょこ龍

熱が出て、落ち着いて、また出て、という感じで体調がよくない2月。高熱出てダウンみたいなの、めったになかったんだけどな。体力が落ちまくっている。なんかスポーツしようかな。バスケしたいな。安西先生

 

回復期に、地元の酒造の酒蔵開きに行ってきた。そこの社長さんと行きつけの角打ち酒屋で知り合って、蔵開きあるから遊びに来なよと誘われたのである。行き方まったくわからなかったのだけど、「駅からシャトルバス出すよ」とか詳しく教えてくれた。感謝。

 

酒蔵開き、初めて行ったけど楽しかった。入口で紙コップに注がれた日本酒を配っていて、どうやらそれは飲み放題っぽく、何度も取りに行っている人もいた。私も数回おかわりした。屋台も出ていて、焼売を買ってつまんだ。f:id:pppauline:20240217052354j:image

行列に並んで蔵開き限定酒を買ったり、ふるまいの甘酒や豚汁をもらったり、有料試飲で出ていためちゃくちゃいいお酒を飲んだりして、存分に楽しんだ。

社長さんにも会えて、少しだけ話せた。「今年の蔵開きはコロナ以降のここ数年で一番賑わっていて、とても忙しい」と語る顔は嬉しそうだった。私も嬉しくなった。

 

限定酒をもう一本買い足した。帰りに、それを持って角打ち酒屋へ寄った。常連たちで賑わっている。みんなで限定酒を飲んだ。酒好きの常連たちはとても喜んでくれた。いい一日だったなあ。夢見心地というか、フワフワした一日だった。そういう日があってもいい。

足袋

ここ数日体調がすこぶる悪かったのだが、ようやく落ち着いてきた。

土日のどちらかはほぼ毎週近所の町中華でからあげ定食を食べるのだが、先週末は無理だった。からあげ大好きな私が「からあげ食べたいなあ」と思わないのは相当である。今週末にはモリモリ食べられるといいな。

 

岡田悠『0メートルの旅』読んだ。

GWの東京が混みすぎなので、最も検索されていない駅へ行くの記事を読み、おもしろかったので本書を探していたのだけど、近所の書店では見つからなくて、気がつけば半年近く経っていた。そしたらこの間、何かのきっかけで経済制裁下のイランに行ったら色々すごかったの記事も読み、これもおもしろくて「さすがにそろそろ買わねば!」と某密林で注文した。買ってよかった。どの旅もめっちゃくちゃおもしろいし、文章がとにかく上手い。こういう文章書きたいな〜というお手本。

 

「はじめに」から良すぎる。旅の記憶。小学校の帰り道、白線から出たら死ぬ日を思い出す。家までの最短ルートは途中で白線が途切れているので、わざわざ遠回りをして帰った。それでも家のちょっと前で白線が終わっているので、「息を止めると無敵」というルールを急遽作り、足早に玄関へ駆け込んだ。

 

私は自転車に乗れるようになるのが、かなり遅かった。自転車に乗る必要があまりなかったのだ。家の真裏が小学校だったし、友だちもみんな近くに住んでいた。うちの何軒か隣に駄菓子屋があって、そこでお菓子を買い、近くの公園で遊ぶ。そんな毎日、歩きだけでも何ら不便なことはなかった。

高学年になって、行動範囲が広がった。みんなで商店街へ買い物に行くとき、私はひとり走ってついて行っていた。「自転車に乗れるようになりたい」と、やっと思った。練習している姿をみんなに見られたくなくて、夏休みに祖父母の家に滞在し、ひたすら自転車に跨った。はたして私は自転車に乗れるようになった。

 

中学生になり、私は自転車で走り回った。違う小学校出身の友達の家。これまで家族と車でしか行ったことのなかったショッピングモール。本やCDを集めるようになり、市内各地のブックオフを巡ったりもした。どんどんマップが広がっていく。

高校生になって、電車で隣の市までライブを観に行った。受験生になり、オープンキャンパスで県外の大学を見に行った。また世界が広がる。

都会での一人暮らし。新シリーズが始まった感じだ。マップをまた広げていく。ライブハウスに通い始めてパンクスのお兄さんにおそるおそる話しかけたり、趣味の合う友だちを求めてサークルの新歓に突撃したりした。お酒も飲めるようになり、飲み屋街の魅力と恐ろしさを知った。サークルの仲間と、レンタカーや夜行バスで色んな県に行った。一人で行くことも多かった。年に一度は18きっぷの旅をした。大垣駅の乗り換え、いなり寿司を買っていたら間に合わなかったのとか思い出す。

 

地元へ戻る。子どもの頃には行かなかったようなところに足を伸ばす。良さげな角打ち酒屋に、おしゃれなワインバー。雑草が茂りまくっていて、どこから入っていいのかわからない古書店。山の上にある古戦場跡を見ようとノリで登ってみて、途中でのどが渇いて死にかけたりもした。山頂の自販機、貴様だけは許さぬ。でもありがとう。

 

旅をしてきた。海外に行ってあの史跡を見た!とかあの美術館に行った!という経験はないけれど、私は旅をしてきたのだ。

 旅を辞書で引くと、「定まった地を離れて、ひととき他の場所へゆくこと」と書かれている。

 定まった地とは、きっと日常そのものだ。日常は安心で、快適で、大切な僕らの基盤である。だけど予定通りの毎日を繰り返しているうちに、とその存在が曖昧になっていく。日常が身体にべったりと張りついて、当たり前になって、記憶にすら残らない時がただ過ぎ去っていく。

 

 旅とは、そういう定まった日常を引き剥がして、どこか違う瞬間へと自分を連れていくこと。そしてより鮮明になった日常へと、また回帰していくことだ。

 

 地元に戻ってから、ほとんど県外に出ることはなくなった。学生の頃より、確実に「日常」の粘度は高くなっている。でも、どこにいたって旅はできる。ただ目の前に夢中になる瞬間。0メートルの旅。とてもいい本だった。

がらん

先週末は楽しいこともあった。が、それ以上に残念なことの印象が強い。プラマイゼロ、むしろマイだった。

怒りを感じると相手のことを嫌いになったりするけど、「残念だなあ」と感じると、相手への興味や感情が薄れていく。「残念だなあ」と思わされる度ごとに、感情が動かなくなってくる。やがて限度に達したなら、もうなにも思わなくなるのだろう。すべてが初めから無かったかのように。

 

今日は一日ぼんやりとしていた。気がついたらこんな時間だ。

本読んで早めに寝る。