難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

中村光夫『今はむかし──ある文学的回想』

 

辰野隆鈴木信太郎渡辺一夫中島健蔵豊島与志雄… そんな教授、講師陣が在籍していたころの東大仏文の様子は、多くの作家が書き表している。文学に傾倒し、教室には碌に出ず、日々思索に耽る。これに憧れて大学生活を奔放に過ごした私は、現代社会が見捨てるところの落ちこぼれになってしまった。人生を棒に振ってみたものの、当時の文学青年たちの誰もが持つような逸話などは何ひとつ残せていない。そんな凡庸たる私にとって、この時代の回想記は非常に興味深い。

 

中村光夫といえば、小林秀雄中原中也についての本を読んでいると、幾度も目にする名前であるが、これまで著書を読んだこともなく、どのような人物かも知らなかった。文章から柔らかい人柄を想像したが、巻末の解説によると、まず「論争」の言葉が浮かんでくるような、一般に「辛辣な批評家」との印象ある人だという。

回想記『今はむかし──ある文学的回想』は、著者が昭和七年に東大仏文に入学したころから、十三年に渡仏するまでを叙している。中原中也大岡昇平河上徹太郎吉田健一青山二郎など時代を彩った文人たちとの交流が色濃く描かれていた。

 

「作品から想像すると、きっと才気煥発で、通人気取りの、皮肉屋だろう」と思っていた小林秀雄を、高等学校の同級に連れられ、講演の依頼に初めて訪ねたときの印象、

 

紺がすりの着物に対の羽織をきた、まったくの書生風で、書くものから想像したような気取りは毛ほども感じられません。

座をもたせるために、いい加減な世間話をするということがほとんどないので、ときどき沈黙がたえがたいことがありますが、その代わり話すことが一語一語、考えぬいて肚からおしだすようで、その突きはなしたことばには不思議な暖か味がありました。

「文学の結晶したような人だね」

 と湯浅が氏を評して言いましたが、僕も同感でした。ともかくここに今まで現代にいると思えなかった型の文学者がいる。お前の求めていた人ではないか。こんな気持ちさえしきりにしました。

 

自分も小林と相見えたような興奮に胸が熱くなる話である。

爾来よく家に遊びに行くようになったという著者、小林と話す時間もだんだんと長くなっていったが、「長居をしても、にぎやかに世間話をするわけでもなく、話題がなくなれば黙って睨みあって」いたのだという。「氏の前ではむだなことを言うまい、ただ本質的な話をしようというのが、僕らの氏に対する敬意であり、自分らのための虚栄心であったよう」だと。

羨ましい間柄だ。多感な時期、そのような先達に出会えるのは本当に仕合わせなことである。

 

また、中原中也のような詩人と交流があったのも羨ましく思う。気性の荒い天才詩人と思われた中也だが、著者が二人で酒を飲むときには気のやさしい先輩だったという。そうした一面は確かに彼の詩にも見受けられるが、実際に触れてみるとより一層いじらしく響くことだろう。

そんな小児のような中也の気質は、大勢の酒席となると、手のつけられぬ駄々っ児へと変ずる。

 

 氏と一緒になるのは、おもに青山二郎氏のアパートでしたが、そこで顔を合わせるたびに、いつも今夜は大変だぞ、と覚悟しなければならなくなります。

 酒興を滅茶滅茶にされれば、こちらも酔っていることだし、いくら青山氏が主任役として気をつかっても、ときには喧嘩になります。あるとき、中原氏が「殺すぞ」といって、ビール壜で、僕の頭をなぐったことがあります。こちらは酔っているのでけろりとしていましたが、青山氏がめずらしく真顔で、中原氏に向かって、「殺すつもりなら、なぜ壜の縁でなぐらない。お前は横腹でなぐったじゃないか。卑怯だぞ」と怒鳴りました。ビール壜を右手にさげたまま、中原氏はしばらく僕の顔を見くらべていましたが、やがて「俺は悲しい」と叫んで泣きふしてしまいました。

 

この話は何かで拾い読みして知っていて、中也について強烈な印象を残していた。いやいや、縁か横腹かって問題なのかよ。で最後悲しいって叫んで泣くのどういうことだよ。などと思っていたけれど、「中原氏のいらいらも、現象面では他人の悪口という形ででましたが、おそらく根本では自分自身にたいするいら立ちなので、だからどうしようもなかったのです」ということを頭に入れて考えてみると、なんとなくその悲しみがわかったような気がした。

 

氏が青春をとらえた代償として、青春が逆に氏をとらえたといえるので、普通は人生のやがてすぎ去る一状態にすぎない若さが、氏にはひとつの絶対の状態になって、氏は出口のない青春の中に閉じこめられてしまいます。

 

出口を求めて苦しみ続けた詩人。それを見つめてきた小林が、憔悴した容貌で『在りし日の歌』の原稿を渡しに来たときの、急に足が不自由になったらしく、うしろから見るとびっこをひくのが目立つ旧友を見送ったときの心情を慮ると、胸が圧し潰されそうになる。

 

中也自体は、寿命残り二、三ヵ月前となっても、死を予感していなかったようだ、ということ、このころ彼は故郷に帰って住む計画を立てていたということ初めて知った。これからの地方生活について楽しそうに語る中也、想像するだけで辛い。

 

 

小林秀雄中原中也、感想を書こうと思うとこの二人の話ばかりになってしまうのは、それだけ二人について密接に描かれていたからであろうか、単純に私の好みか。

ほかにも、博引傍証の典型たる鈴木信太郎と、作品を生きた思想の流れ、感情の肉声として捕えることを先決とした吉田健一、この二つの鑑賞の話など面白く読んだ話いくつもあるのだが、目が疲れてきたのでこの辺で。