難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

3/30 ルドン─秘密の花園 三菱一号館美術館

 

高速バスの乗り降りでしか使わない東京駅の、丸の内側へ初めて出た。写真でよく見る、近代風のレンガ造の建築を見渡す広場は、絶えず人間が溢れ出そうとも広々としていた。今回の目的地は、そのすぐ近く。

 

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三菱一号館美術館は、私の好きな和田彩花さんが、エドゥアール・マネと、そして美術と出会った、思い入れのある美術館だそうで、彼女のラジオにも度々登場していたので、行ってみたいと思っていた美術館だった。

 

今回の展覧会は「ルドン─秘密の花園

オディロン・ルドン1840年に生まれた、フランス象徴主義を代表する画家。象徴主義の絵画がどういうものか、これまで判然としなかった部分が摑めてきた気がする。

更に今回は、ルドンが描いた花や植物に焦点を当てた、世界で初めての展覧会だそうで、これまでは「黒」の印象が強かったこの画家の、あざやかで幻想的な花々は、強烈に私の心に根を張った。

 

ワインで有名なボルドーメドック地方の外れにある、ペイルルバードという、葡萄畑と林ばかりの田舎で、生まれつき病弱だったルドン少年は、植物に対して何を思っただろう。

生命… と容易く限れはしないが、やはり何か「確かなもの」を見ていたのではないか。そして、彼にとっての不確かなものとは。

 

彼の絵筆は、花の色彩に世界を包む。赤、黄、橙、緑、紫… 「黒」の世界が研究した「目に見えないもの」とは、このあざやかさなのか。

この夢の中で、植物たちは多様な表情を見せている。生きているのだ。それとは逆に、傍らに描かれた人間たちには感情がない。私にはこれが、植物から見える私たちに思える。いや、違う。植物ではない。しかし動物でもない。では、その中間の存在。

 


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《蝶》という絵。これが一等気になって、ずっと観ていた。蝶たちに混ざった花、限りなく蝶に近い花、いや花だと断定できるだろうか、それくらいに境界が曖昧で、不思議な魅力のある絵だった。

更に和田さんのラジオで気づかされたが、海辺を舞っている蝶、というのもおもしろい。普通は野原だとか、花畑だとかだろうに、なぜ。と思うと、他の絵のように幻想的な色づかいはしていないにも関わらず、ものすごく現実離れした作品に見えてくる。そういえば、海は命の源である。

 

 

しばらく色々な考えがぐるぐるしていた。楽しく、新しい体験だった。美術に興味が出てまだ数ヶ月、そうしてやっと行くことのできた美術館、忘れがたい思い出となった。

家に帰って図録を読んでいて、《神秘的な対話》の、あの光り輝く枝の赤が、これほど伝わらないなんて、と衝撃を受けた。やはり実際に観るというのは肝要である。

 

図録といえば、綺麗な表紙に誘われて購入したのだが、これもなかなか充実の内容でおもしろい。研究的な話はよくわからなかったが、ところどころに「花瓶には常に水が隠されている」など、稲妻が走るようなことが書いてある。

読んでからまた《グラン・ブーケ》や、後半第七章の展示を観たら、新しい気づきがあったかもしれない。ああ、また行きたい。

 

一号館美術館の内装、居心地もよかった。見やすさも。少し赤みがかったグレーブラウンの壁は、高橋明也館長が『美術館の舞台裏』で書いていたように、一九世紀の絵画に適していた。

実は今回、3/30金曜と、4/1日曜の二回この展覧会を観に、一号館美術館へ訪れている。

次はいつになるか… また、近いうち。