ぼんやりと一日を過ごした。落ち込み気味である。買い物に出かけるが、買うものが浮かばない。とりあえず牛乳を手にとって、そこからまた浮かばない。うろうろする。売り場を往復しながら、ぼーっと考え事をする。
こういうときはたいてい、中原中也の詩を思い出す。
かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがへば
なが心、かたくなにしてあらしめな。
かたくなにしてあるときは、心に眼
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人はみな生れしながらの
うまし夢、またそがことはり分ち得ん。
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂ひ心地に美を索む
わが世のさまのかなしさや、
おのが心におのがじし湧きくるおもひもたずして、
人に勝らん心のみいそがはしき
熱を病む風景ばかりかなしきはなし。
クリティカルヒットだ。つらい。私はつい最近、熱に飲み込まれてしまったのである。怖い。
ケストナーは「良心はまわれ右が可能だ」と書いていた。「たとえそのモラルがどんなに不道徳なものであっても。内なる声はそのときどきの規範に従う」と。怖すぎる。
結局牛乳だけ買ってトボトボ帰る。帰って中也を読む気にはならなかった。夏目漱石『草枕』を棚から取り出す。
山路を登りながら、かう考へた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
ここだけ読んで感じ入っていると怒られそうだが、やはり冒頭のここ、いいよなあ。これでしかないよ、人の世。
1ページだけ読んで、ベースの練習に移る。楽しい。おいしい牛乳を贅沢に使って、コーヒー牛乳作る。おいしい。
なんか映画でも見て、ゆっくり寝よう。お疲れさん。