難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

壇ノ浦で舞った男

ついに壇ノ浦を迎えた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』なのだけど、屋島がナレーションで終わらされて悲しい。まあ仕方ないか。

 

源義経の獅子奮迅の活躍に八幡大菩薩の姿を見る梶原景時、なかなか新鮮だ。まったく意見が合わず、嫌悪や嫉妬から頼朝へ讒言するイメージしかなかったけど、義経を認めるからこそ、頼朝を脅かす存在として義経の危険性を伝える梶原景時。こんな見方があったんだなあ。

 

平家が劣勢となり、一族はもはやこれまでと心を決める。

「先帝身投」の場面だが、二位尼平時子)が安徳帝を抱かず一人で入水。

 

「朕をどこへ連れて行くのだ」

「ここよりずっと良い、極楽浄土というところですよ」

「さあ、参りましょう。浪のしたにも都はございます」

という帝と時子の最後の会話もなく、呆気ない感じで終わってしまった。

 

 

平家物語』での「先帝身投」の場面は、それはもう名文中の名文で、感涙を禁じ得ぬほど好きなので引用したい。

 

山鳩色の御衣にびんつら結せ給ひて、御涙におぼれ、小さく美しき御手を合せて先東を伏し拝み、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、其後西に向はせ給ひて、御念佛有しかば、二位殿やがて抱き奉り、「浪のしたにも、都のさぶらふぞ。」と慰奉て千尋の底へぞ入給ふ。悲き哉、無常の春の嵐、忽に華の御容を散し、無情哉、分段の荒き浪、玉體を沈め奉る。

 

幼い帝は涙を流しながらも、小さな手を合わせて東の伊勢神宮に別れを告げ、西方浄土を希求して念仏をあげる。こういう儀礼をきっちりさせるところに、時子の想いを感じる。不遇の幼帝に、可愛いわが孫に、せめて帝としての神聖なる最期を。

 

時子は神器と帝を抱いて海の底へ沈む。これは都を逃れた平家における「全て」とも言える。時子は全てを抱いて死ぬ。清盛の妻として、平家の盛衰をずっと見てきた人の最期だ。

 

これを見届けた知盛は、「見べき程の事は見つ、今は自害せん」と海へ入る。これで平家の物語は幕を閉じる。

…救われて生け捕りになった宗盛のその後は「見べき程の事」ではなかったということで。

 

さて、このあたりの話は『鎌倉殿』では描かれなかったのだけど、平家のお話ではない(『吾妻鏡』では安徳を抱いて入水するのは時子ではない)ので、それは仕方ない。でもやっぱりなあ、とモヤモヤしている平家贔屓なのでこういう文章を書いた次第。