難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

真剣n十代

人前で話すのは難しい。先日、人前というか数人の視聴者がいる配信で話したのだけど、不正確、不適格な発言は避けなければ、と考えると、ウンウン首肯いたり無難な返答しかできなかった。

喋るのが好きなので、何かそういう配信できれば面白いなと考えていたけど、事前に参考文献読んで台本用意しないと難しそう。いつも曖昧模糊な話ばかりしてるからなあ。ある程度詳しそうな人たちに混じっても、これなら自信持って語れるぞという分野を作らねば。

 

 

その逆で、テキトーな発言が許される場、仲間たちとの雑談は楽しい。その日のできごと、見た映画やドラマ、読んだ本など、感じたことや見聞きしたものを、なんとなく纏めて話す。大切な時間だ。

 

先月読んだウィリアム・フォン・ヒッペル『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか』で、面白い論が展開されていた。人類史上いちばん重要なイノベーションである、「火の管理」について。

 

火を扱い始めてから、われわれの先祖は大きく進歩した。中でもリチャード・ランガムの「大きな脳を発達させるうえで“料理”が重要な役割を果たした*1」という主張はよく知られている。ざっくり言うと、火を通せるようになったことで、生肉をガムみたいに噛み続けなくてもよくなり、小さな顎と大きな脳をもつ姿へと変わっていった、みたいな話。

 

それに触れたあと続けてヒッペルは、火の管理のもうひとつの副産物かもしれないものとして、「物語の口承」を挙げている。

昼間の狩猟採集民たちは、喫緊の社会的関心事や経済的なニーズの問題にほとんどの時間を費やす。しかし夜のとばりが下り、焚き火が熾されると、人々は小さなグループになって火のまわりに集まる。そして、会話はいつしか物語になる。その物語の多くには、「どう生きるべきか」「文化的な規則にどうしたがうべきか」という大切な教訓が含まれている。

 火の管理によって人間は、日が暮れたあとに敵に襲われる恐れをそれほど感じることなく、より長い時間にわたって交流できるようになった。昼間と同じように仕事ができないその時間こそが、人間に社交と内省という唯一無二の機会を与えた。

先祖たちが焚き火のまわりに集まって会話していたときから、ずっと積み重なってきた文化が、連綿と続いている。現代を生きるわれわれも、灯りを囲んでおしゃべりに興じている。

みたいなことを思うと、日々のなんでもない雑談がすごく感じる。

 

この本けっこう面白かったので、各所で薄~く引用してアレコレ話してるけど、特にこの「おしゃべりってすごいぜ」の話はお気に入りなので、ちゃんと覚えて皆に話せるようになろう。著者の名前がまず覚えられないけど。

 

*1:『火の賜物 ヒトは料理で進化した』