難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

3/18 櫻谷文庫(旧木島櫻谷家住居)

 

日曜日は曇っていた。あんなに気持ちよく晴れた土曜日を、終日ベッドの上で過ごしてしまった後悔が、怠惰な私を阪急電車に乗せた。

 

西院駅で阪急の自転車を借りる。北野白梅町の方向へは、何年ぶりだろうか。目的地の櫻谷文庫は、洛星中・高校のすぐそばにあった。


f:id:pppauline:20180404210404j:plain

 

櫻谷文庫は、明治から大正昭和にかけて活躍した日本画家、木島櫻谷(このしまおうこく)の居住した和館、洋館、画室などの建造物からなる。

現在、東京で開催されている木島櫻谷展に合わせて、三月三日から四月一日の金土日祝に公開されている。

 

受付終了の一時間前、十五時ごろに着いたのたが、十人そこらだったか、思っていたより人が多かった。日曜美術館の再放送効果だろうか。かく言う私もそうなのだが。

 

まず和館の玄関で受付を済ませる。案内の方が、家の造りやらの説明をしていて、先客に混じり聞いてみたり、ぼーっと部屋を眺めてみたり。

長い時間をかけて水流に洗われ、つるつるになった石のような、落ち着いた邸宅。数寄屋造りというらしく、櫻谷の好みだったのだとか。

 

f:id:pppauline:20180404210505j:plain

 

数寄屋造り。なんとなく聞いたことはあれど、どんなものかは知らなかったので、簡単に調べてみた。

どうやら「数寄」は「好き」と語源を同じくするらしい。専門業とはせず、なにかの芸事に打ち込むことを「すき」と言い、古くは和歌に執心すること、後に連歌桃山時代には茶の湯とその対象を変えていった。

江戸時代には「数寄」のための家として「数寄屋」が茶室の別称として定着する。なるほど、侘び寂びの世界。

 

f:id:pppauline:20180404210541j:plain

 

奥の部屋には、櫻谷の「すき」が並べてあった。押し入れを覗くと、画材も見つけられた。


f:id:pppauline:20180404210616j:plain

 

収集品や画材なんかを、死後こうやって展示されるって、どんな気分なんだろう。ちょっと恥ずかしかったりするのか、それとも「それ珍しいだろう」と自慢気だったり。なんて無駄ごとを考えながら、隣の洋館へ移動する。

 

f:id:pppauline:20180404210703j:plain

 

西洋画の表現を取り入れ、新時代の絵を描いた日本画家の邸宅にも、和と洋が共存していた。

外からこの二つの建物を眺めているだけでもおもしろかったが、ある絵を見るために洋館の中へ。螺旋階段を上り、二階の展示室に入るとすぐ、目当ての絵が掛けてあった。

 

f:id:pppauline:20180404210743j:plain

 

『画三昧』

これから下書きだろうか、木炭筆を握って、どう描こうかなあ、と思案している画家の目は、無限の空白を見つめている。

余計なことは何も考えていない。上部の余白が表すように、ぽかんと限りなく、絵を描くことに没頭している。

こんなふうに何かに夢中になれたら理想だなあ、と思う。画家の表情がとてもとても幸せそうで、ずっと見ていられる絵だった。

 

始終この絵を眺めていただけだったので、洋館の中のことはあまり覚えていない。それくらい好きな絵となった。

 

f:id:pppauline:20180404210828j:plain

 

元は池だったというテニスコートを抜け、大きな画室をちらっと覗き、庭を少しぶらぶらしてから門を出た。

 

ここ衣笠は、櫻谷の転居を機に、多くの画家が移り住んだという。それなので「衣笠絵描き村」と呼ばれるようにもなったらしい。

当時のこのあたりは、櫻谷の絵のように静かだったのかな、なんて思いながら、もう咲き始めているという桜を見に北野天満宮に立ち寄ったが、騒がしすぎてすぐに引き返した。