難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

旅情

白水社ふらんす』の六月号が届いていたのを忘れて、机に置きっぱなしだった。特集記事は「パリ夜行列車の旅」、ちょろっと読んでみる。

 

安価な夜行バスやLCCの台頭により、すっかり時代遅れの乗り物となり、僅か残る路線で細々と運行されていた夜行列車。それが最近になって復活してきているのだという。

マクロン政権は温室効果ガス削減に力入れてるもんなあ。鉄道は自家用車や航空機に比べると、二酸化炭素排出量が各段に少ない。グレタの姉御も鉄道で移動している。

 

私は飛行機が苦手なので、夜行列車にはかなりの魅力を感じている。南仏へと向かうパリ~ニース間の列車。そして国際列車となるパリ~ウィーン間も乗ってみたい。まあその前にフランスへ行くのが難関なのだけど。「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」というやつだ。

 

 

異国の鉄道の話はこのくらいで。

一昨日の記事岡潔の「情的にわかる、知的にわかる」みたいな考えのこと書いたのだけど、今日、小林秀雄の『考えるヒント』を読み返していて「言葉」という文の中に、これまた面白い論があったので引用する。

 自然の情は不安定な危険な無秩序なものだ。これをととのえるのが歌である。だが、言葉というもの自体に既にその働きがあるではないか。悲しみに対し、これをととのえようと、肉体が涙を求めるように、悲しみに対して、精神はその意識を、その言葉を求める。

かなり連関したようなことを言っている。道理で『人間の建設』が名対談になるはずだ。

 

「言葉は生活の産物」であり、「生活するとは人と交わる事」だという。私もまた、何らかの不安定で無秩序な情を、拙いながらも懸命に整えて、時々ここに書いている。

生活や言葉、かなり身近なようだけど、よく考えると果てしなく遠い気もしてくる。てなわけで遠い話二本立てでした。