難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

お達者で

先日、けっこうな待ち時間があったので、飲茶『史上最強の哲学入門』を読んだ。こういう入門書、噛み砕かれすぎててあんまり良くないかなとか思って、なんとなく避けていたのだけど、おもしろいし分かりやすいし、もっと早くに読んでおくべきだった。

そもそも哲学に関する知識がほとんど無なのだから、ちゃんと噛み砕かれた本を最初に読むべきであった。カッコつけてたな、昔の自分。だいたいの思想の流れが摑めてないと、そもそもこの人は何を論証してるのか、批判しているのか、みたいなのが分からないよね。

 

「真理」を探求する流れを追って、おもしろいなと思ったのは、「到達できない真理」がどんどん示されてしまった現代の話。

数学や物理学の限界点が見つかったことにより、いくら学問を発展させてもこっから先はわかりませんよ〜というところが出てきてしまった。めっちゃガッカリなんだけど、その学問の囲いを超えた観測不可能、証明不可能な「理解できない何か」つまり「他者」が現代哲学では重要なキーワードとなってるの、グッとくる。

 

囲いの外側に存在する「他者」、この怪物の前では、科学も哲学も宗教も歯が立たない。なんたって囲いの外側にいるのだから。「他者」によって絶対的真理なんてものは否定されてしまう。なのだけど、

 しかし、「他者」とは真理への到達を妨げる忌むべき存在というだけではない。一方でこんなふうに捉えることも可能であるように思う。

 

「他者とは、私という存在を自己完結の独りぼっちから救い出してくれる唯一の希望であり、無限の可能性である」

この捉え方めっちゃいい。他者ってよくわからんし、サルトルの言うように「地獄」だし、レヴィナスの言うように「殺したいと意欲しうる唯一のもの」なんだけど、そんなバケモンから逃げずに向き合うことで、新しい何かが得られる。うむ、無限の可能性。

 

対話、けっこうしてきて、時にはケンカにも発展して「もうウンザリだ!」となったりしたけど、真面目に対話を重ねてきたからこその成長、めちゃくちゃあると思う。自分だけで思考をこねくり回していたら、間違いなくヤバいやつになっていた。他者、ありがとう。

上手く伝わらなかったり、否定されたり、しんどすぎるけど、これからも他者との関係を断絶せずにいきたい。

 

僕たちは「他者」から逃げ出さず、「他者」を殺してはいけないのである。「他者」を殺すというのは、いわば、対話の相手として決して反論せぬマネキンを持ち出し、無抵抗をいいことにそれに向かって主張するようなものである。そんなことをしたって何の意味もない。それは「他者」という強敵からの逃走行為であり、「真の敗北」である。だから僕たちは、目を背けず、無視せず、殺さず、関係を絶たず、「他者」と対話しなくてはならないのだ。「ホントウはこうなんじゃないのか?」と問いかけなくてはならないのだ。他者からの拒絶により、たとえどんなに傷つくことになろうとも。