難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

4/2 至上の印象派展 ビュールレ・コレクション 国立新美術館

 

乃木坂駅六番出口は、国立新美術館に直結している。美術館へ向かう以外では、まず用のない出口と思われる。しかし、想像より人の出入りが多い。地下から抜け出てみると、まず思った。国立新美術館、めちゃくちゃでかい。そしてかなりの賑わい。彼らはやはり、みな美術館に向かっていたのだ。

あらゆる都会規模におろおろして、ロッカー前で荷物ぶちまけ、やっと入れ終えたと思えば百円がなく、たまらなく惨めな田舎民でも、美しいものは見たい。カフェで一杯、気持ちを整えて、いざ企画展示室へ。

 

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「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」

聞き慣れない名。エミール・ゲオルグ・ビュールレは、1890年生まれ、スイスの大実業家であり、絵画の著名な蒐集家だそうだ。ルノワールをはじめ、セザンヌ、モネ、ゴッホなど、印象派・ポスト印象派の作品を色々観ることができた。

ここ最近になって絵に興味を持った私にとっては、まさに絶好の機会だった。情報量が多すぎてまったく整理できてはいないが、まあそれはおいおい。

 

 

まず初め、「肖像画」の展示室。

ひときわ目を引いたのは、ドミニク・アングルの《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》。噂に聞くアングル、やはりすごい。手がつるつるしていて、近くでもっと観てみたかった。しかし《アングル夫人の肖像》では、身体が荒く描かれていて、アングルにもこういう作品あるんだ、と思ったが、説明を読むと、どうやら未完らしい。

作者や解説を初めは読まずに、ふらふらと観ていたら、「ああ、これはドガだ」とわかる絵。《ピアノの前のカミュ夫人》の、ピアノの上に置かれた陶器人形に当たっている光が、踊り子を髣髴させた。しかしこのドガという人は、演奏をやめて振り向いた夫人を描いたり、出走前の馬だとか、控室の踊り子だとか、そういうものに興味を持っていたのだな。

 

「ヨーロッパの都市」の展示では、シニャックのかわいい煉瓦積んだみたいな絵と、アントーニオ・カナールの緻密な絵が、同じサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を描いていると、題名を見て知り、思わず二度見、三度見、なんども見比べた。たしかに舟も同じような形のが浮かんでいる。

 

次の展示「19世紀のフランス絵画」の部屋に入った瞬間に、どの絵よりの強力に、圧倒的に目に飛び込んできたのが、ウジェーヌ・ドラクロワアポロンの凱旋》だった。神話も何も知らないので、アポロンが何者なのか、なに帰りなのか、ほとんどわからず観ていたが、激しい戦いの中に「生と死」のような大きな主題、なかでも強力に光を放つ「生」が緊緊と感じられた。

 

黄緑の壁に変わる「印象派の風景画」の展示では、ピサロの描くうねった木が好きだなと、並んである数点を眺めていた。それと《ルーヴシエンヌの雪道》の、絵の具のでこぼこでの雪の表現もおもしろい。

 

この先は「ドガルノワール」、「ポール・セザンヌ」、「フィンセント・ファン・ゴッホ」と進んで、以降ナビ派キュビスムなど20世紀初頭の絵画やモダン・アートへ。

ゴッホの作品は絵の具ペタペタって感じで、ぐわんぐわんと妙な迫力がある。あとおもしろかったのが、エドゥアール・ヴュイヤールの《自画像》。おぼろげな中に、顔が浮かび上がってくる。

そして特に印象に残ったのが、ジョルジュ・ブラックの《ヴァイオリニスト》だ。こういう絵は本当に、どうしていいかわからない。同じ展示室にあったピカソの絵も、なにやらわからずスッと通り過ぎてしまったが、これも同じく過ぎようとした瞬間、ふとf字孔が見えた。すると途端に、形はよくわからないけれども、ぼんやりとヴァイオリニストが浮かび始めてきた。ああ、あれが鼻で、口で。だがそれ以上は摑めない。手元はこうじゃないか、ああじゃないか、と考えれば考えるほど定まらない。まるで動いているようだった。

 

 

様々の絵画を観た。その中でも、心奪われた作品について、最後に。


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ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》

全体的には、ぼんやりと描かれているのだけども、イレーヌの顔が、その白く透き通った、とても八歳の少女だとは思えない端正な顔立が、そこから目を離せなくなるほどしっかり描かれている。じっくり観れば、赤らんだ頬に少女らしさを感じ取れる。そこから、手のちいさいことに気づき、可愛くてたまらなくなってくる。

もう一度、イレーヌの顔を見つめてみる。この瞳だ。憂いを帯びた、物語性を閉じ込めたような瞳。歴史を見つめてきた瞳。百何十年という時が、一気に私の中に流れ込む。

この絵の辿った道を、少なからず知っていた。モデルの両親に気に入られず、人目のつく場所には飾られなかったというこの絵。何十年と経て、第二次世界大戦ではナチスによって略奪される。戦後に無事発見されるが、当時の所有者である、イレーヌの娘ベアトリスは、収容所から二度と戻らなかった。戦争を生き延びたイレーヌ本人の元に返還されたこの絵を、彼女はどんな思いで見つめていただろう。肖像画は、早々に売り渡されることとなる。ナチスに武器を売り、巨万の富を築きあげた、ビュールレへと。

気付けば、涙が溢れていた。この瞳が見てきたであろう、画家の満足げな表情、上流階級夫妻の苦い顔、暗い部屋の隅、物々しい軍人たち、家族に先立たれた老婦人、毎日のように見つめる紳士。そしていま、その瞳の前に私が居る。奇跡だと思った。

 

名残惜しくて、次の展示室に移ってからも、何度もイレーヌの元に戻ってしまった。大好きな絵を手元に置いておきたい、という人たちの気持ちがわかった気がする。図録を眺めているだけでは、もはや治まらぬのである。また必ず、彼女が日本に居る間に。