難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

8公

近頃体調崩すことが増えてきた。ちょっとの雨だから傘ささなくても大丈夫だろ、というのが無謀になってきたのかもしれない。濡れたらちゃんと体調を崩す。了解。

 

小倉ヒラク『発酵文化人類学』読んだ。

 

文庫になってたの知らなかった。先日京都に行ったとき、電車で読んだ。こんな珍しい味噌あるよ!とかすげえ日本酒あるよ!の本かと思ってたら違った。もっと壮大な本だった。「微生物と人間の共存」という主題。最近かなり興味のある分野だ。

「生命の環」みたいなものをずっとぼんやり考えていて、それでもベイトソンとかは手に取れずにいたので。難しそうだからね。そんな私には一歩目としてちょうどいい本だったように思う。レヴィ・ストロースも、フランス語の授業で何かの短い文章読んだくらいだったし。なんにも覚えてない。

 

「ヒトと菌の贈与経済」という章、読み応え抜群だった。

 

 人間と微生物という異なる生物が、地球における物質循環という巨大なマーケットで「取引」をする。人間は乳酸菌のために牛乳のプールを用意する。乳酸菌はそこで乳酸を生産する。その結果が「ヨーグルト」という発酵食品として結実する。

 

 発酵は、微生物からの贈り物だ。そしてここがポイントなのだが、微生物はそれを贈り物だとは思っていない(うんちだからね)。微生物はいっしょうけんめい自分の命をまっとうしようと頑張るなかで、たまたま人間の役に立ってしまっただけだ。だから人間に対して見返りも求めないし、栄養を食べ尽くしてしまったらおとなしく滅びていく。そして彼らの残した死体や酵素もまた他の生物の役に立つ働きをする。

 

コミュニケーション=交換は回り続ける。なぜコミュニケーションし続けるか?という問いに意味はない。コミュニケーションし続ける存在がわれわれ、というだけだ。必要なものだけが回り続けるわけではない。いらんものもくっついて回る。そのいらんものが誰かにとって役立ったりする。そうやって全てが回っていく。というか、回る世界の中に私たちは存在している。

 

正直「贈与」という用語を聞いてもこれまでは「ほ〜ん」という感じだった。スケールがデカすぎてよくわかっていなかったのだ。よくわからん地でのよくわからん文化の話ではないことがわかってきた。文化人類学の巨人たちの著書を楽しめる時期が近づいてきたのかもしれない。

ワインが好きになって醸造についてちょこっと勉強して、言語が好きになってピダハンやムラブリから文化人類学に触れて、あとは「世界」と「自分」について悩み続けて。そういうのが繋がっていって、今回心動かされるに至っている。これだからなにかを学ぶっておもしろい。

 

人生の後半、こういう連鎖の楽しみみたいなのがメインなんじゃなかろうか。だとしたらもっとピース集めといたろ、というやる気が出てきた。「老後」とかいうパズルゲーム、事前登録特典ありまっせ!!