難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

未来卵

「話したい」を我慢して暮らしている人がほとんどだと思う。なんでもかんでも話して伝わる人というのは稀だ。ある程度体験を同じくしていたり、知識を共有できていなければならない。

 

見てきたもの、聴いたもの。考えたこと、感じたこと。一年も経てば鞄にパンパンだ。そこにお気に入りのワインも詰めて、懐かしい街を眺めながら電車に揺られる。毎年恒例の花見。いつもの面々。

 

しばらく何気ない話を続けて、思った。同じ体験、知識の共有… 違う。そんな狭っ苦しいもんじゃない。つまりは「おんなじものを面白がれるか」だ。

 

「俺たち、いつもこれについて考えてきたよな」、冗談っぽく言ったけど、大真面目だった。

ベルクソンが説明したように、好きな人たちと好きな話をする時間は、あっという間に過ぎてしまう。朝日はそれぞれの帰路を浮かび上がらせる。

寂しい思いと眠気とが線路の上でゆらゆら揺れる。

 

えんじ色の電車に別れを告げる。ほな、また次の桜の季節に。