難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

日本史上最大の怨霊を巡る

初めての駅に降りたのに、なぜか見覚えがある。一度来たことがあったのか、それともどこかに似ているのか。そんな感じのJR坂出駅

 

讃岐国に配流された崇徳院の史蹟を巡るため、坂出市にやってきた。昔はこのあたりが讃岐国の中心(国府)だった。府中という町名もあり、その名残が読み取れる。

この地に精しい友人が車で迎えにきてくれた。助手席で解説を聞きながら雲井御所へ。


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崇徳院が讃岐へ流された際、住むはずの御所はまだ造られていなかった。そこで在庁官人である綾高遠という人物の御堂に入った。その仮御所が雲井御所である。

 

近くを流れる川は綾川といい、この綾氏との関連も窺える。ちなみに御所跡の左隣にある家屋には、綾家の子孫がお住まいだそう。

 

崇徳院は雲井御所で約三年過ごした後、国府のすぐ近く、鼓岡の木ノ丸殿へ移る。

そこへの移動の途中、鴨川という地名を目にしたのだが、これは都を恋しく思う崇徳院が、綾川のことを鴨川と呼んでいたことに由来するらしい。

 

鼓岡神社へ到着。むかしの木ノ丸殿を偲んで造られたという擬古堂を見る。


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こういううらぶれたところで写経の日々を過ごしていたと思うと、まことに不憫だ。

 

この周辺には史蹟が幾つもあった。崇徳院の皇子(綾高遠の娘との子供)の墓。菊塚と呼ばれていて、民家の庭先にある。じっくり見物していると、家の人が出てきそうで緊張感が凄い。

 

国府周辺を色々見て回ったのち、八十場(やそば)というところで名物のところてんを食べた。酢醤油にカラシをつけていただくのが地元流らしい。


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他にも○○風だとか色んな味があった。後ろに並んでいた青年たちが「ろうそう風ってやつにしようかな」と言っていたので、なにそれと気になってメニューを見てみたら「浪速風」だった。しっかりしてくれ。

 

この八十場(弥蘇場)の霊泉に、崇徳院の遺体が浸けられたそうだ。八月の暑い時期にも関わらず、腐敗せず保存できたという伝説がある。


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ちょろちょろっと手を洗ってみる。ひんやりして気持ちいい。ありがたい霊泉と聞くと、腐らず邁進していける気がする。単純。

 

清められた精神のまま、御陵へと向かう。山の中にあり、町に溶け込んだこれまでの史蹟とは雰囲気がまるで違う。荘厳という言葉が真っ先に浮かぶ。


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森閑としている。時折、風のざわめき。鳥の囀り。

崇徳院には鳥に関係した逸話が多い。鳥が好きだったのだろうか。数少ない話し相手だったのかな。そうして現在は、山深い静寂の中で、鳥たちの声を聴きながら穏やかに眠っているんだな。

 

京都竹田の白河天皇陵は、高速道路沿いにあるのでこんな雰囲気ではなかった。まあこの人は讃岐の山ん中に鎮座する感じではないよね。

 

 

ついでに白峯寺も見物。階段が辛い。一番上まで到達して、とりあえず賽銭を入れる。入れて思ったけど、お寺ってお願いごとするのかな。二礼二拍手一礼とかって神社のやつだっけ。なんもわからん。とりあえず拍手とかはせずお願いしてみる。


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ブッダの足もあったので、履物を脱いで上がってみる。なんか御利益があるらしい。石がいい感じに熱せられていてポカポカあたたかい。


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あと入口の門の近くに、招き猫がびっしり置かれた石灯籠があった。なにこれ。怖い。

 

 

汗びっしょりになったので、帰りに銭湯へ行った。もう夏はすぐそこだな。こういうのを薄暑と呼ぶらしい。日中散策できるのは薄暑まで。よきツアーだった。