難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

記憶の町並

近所のスーパーへの近道に使っている、車一台通れるかくらいの細い道を行くと、昭和の面影残した古い家があった。昭和を知らないけど、まあそんな感じの家だ。

この家の敷地と道路ギリギリのところに、おじいさんが座っていた。お菓子やらパンやらヨーグルトやら広げて、いつも座っていた。蒸しあがりそうな日でも、凍てつく日でも、小雨降る日でも。ひょっとしたら、台風の日にも座っていたかもしれない。

 

ある日いつものようにスーパーへ向かうため、近道を通ると、あの家の解体作業が始まっていた。通り過ぎながらぼんやりと思ったのは、新しく何が建つのかな、駐車場になるのかな、とかそんなことだった。

 

今日、近道を通ると、あの家が完全に無くなっていた。無くなって、おじいさんのことや、地べたに広げられた食べ物飲み物などをしみじみと思い出した。それでここに書きたくなった次第である。

 

あるものが消えゆく最中には未来を思うが、まったく消えてしまえば過去が姿を現すものなのかな。