難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

のろま

寝る前に抱いていた自己嫌悪が、起床時さらに歪になって蠢いていた。

うまく人と話ができなかった。頭の回転が遅くてついていけない。私の愚鈍の所為で流れを止めてしまう。空気を悪くしてしまう。ああ、私なんてここにいない方が、彼らにとっては快適だったろう。アホ面さげて恥ずかしげもなく、なんの面白みもない人間が、同じ空間に混ざってしまって申し訳ない。

 

いつも三島由紀夫の『金閣寺』を思い出す。

 吃りが、最初の音を發するために焦りにあせつてゐるあひだ、彼は内界の濃密な黐から身を引き離さうとじたばたしてゐる小鳥にも似ている。やつと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現實は、私がじたばたしてゐるあひだ、手を休めて待つてゐてくれるやうに思はれる場合もある。しかし待つてゐてくれる現實はもう新鮮な現實ではない。私が手間をかけてやつと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に變色し、ずれてしまつた、……さうしてそれだけが私にふさはしく思はれる、鮮度の落ちた現實、半ば腐臭を放つ現實が、横たはつてゐるばかりであつた。

 

内界と外界との間の戸、錆びついた鍵。開け閉めする度に苛立たしい。

皆と自然に話がしたい。