難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

根っこ

かなり出遅れたが連続テレビ小説『らんまん』見始めた。一週目から泣きに泣いてしまった。期待できる。

 

万太郎が分家の人たちからあれこれ言われているのを聞いてしまって、母に「わし、生まれてこんほうがよかったん?」と聞く場面。「万太郎が欲しゅうて欲しゅうてたまらんかったがよ。どういても欲しゅうて、裏の神社に毎日お参りに行きよったがよ。ほんなら、万太郎が来てくれた。神さんがくれたがよ。万太郎には、お父ちゃんも付いちゅう」と答える母に、「神さんら、見たことない」「お父ちゃんにも会うたことない」「見えんならおらんとおんなじじゃ」と否定する万太郎。このシーン見ていて、色々と考えた。

 

目に見えないもの。自分が子どもの時はどう捉えていただろうか。怖がりなので幽霊は普通に信じていたし、なんとなく神様というぼんやりした存在もあって、道徳的に良くないと思われることは憚られたり。

大人になったいまでも、「目に見えないもの」に対する畏れはある。科学的にどうだとか、そういうのはさすがに理解の上なのだけど。見えるものばかりだとつまらないじゃないですか。よくわからん曖昧なものがまだまだ残っていてくれて、それにビビったり、思いを馳せたり、祈ったり、懐かしんだりして。それできるのって人間くらいのものでしょう。

 

「見えんならおらんとおんなじ」というのは、まあそうなんだけど、やっぱり寂しい。見えんものと上手く付き合っていけるほうが豊かだ。