難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

白い山

転勤で遠くに行ってしまう友人から、ボールペンを貰った。

彼はそれを、肌身離さずいつも胸ポケットに差していた。大きな仕事の前で緊張したとき、不安なときなんかに、これを握り締めると勇気が出る。そんな御守りのような品なのだと言っていた。

 

彼は初めての単身赴任でわが街に来た。コロナ禍というのもあり、人との付き合いが皆無で、初めての土地で独りぼっちだった。

よく行く立ち飲み屋で彼と出会った。それから頻繁にその店で会うようになり、ワインを半分こして飲むのが常となった。

 

蔓延防止で店が閉まったとき、彼が家に招待してくれた。それから、二日に一回くらいのベースで遊びに行くようになる。

休日もよく遊ぶようになった。釣りに出かけたり、紅葉を見に行ったり、鍋したり、海辺で飲んだり。

 

いつか居なくなるとはわかっていたものの、こんなに早いとは。まだ知り合って一年とちょっとである。急な転勤だった。

 

引越前、最後の食事会。彼はポケットからボールペンを取り、私に手渡した。大切なものだと聞いていた。息子さんが成人するとき、継がせようと思っていると言っていた品だ。そんなものを貰っていいものか、戸惑った。

 

「それくらい君には感謝しているんだ」と言ってくれた。それに、「このペンが役に立つときがくる。そんな重要な局面が君にはきっと訪れる」とも。

私には逃げ癖がある。テキトーな人間なのではなく、テキトーを装ってあらゆることから逃げ続けてきた人間なのだ。それもお見通しだったのかもしれない。

逃げずに乗り越えろ。このペンを握ると、そう鼓舞されているような気持ちになる。

 

 

寂しいが、今生の別れというわけではない。彼は私の敬愛する友人である。こういう人との付き合いは、いつまでも絶やさない。友達少ないから。

人と出会って仲良くなるって、とんでもない奇跡だ。