難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

赭鞭

いつも行く角打ち酒屋さんで知り合ったイタリア料理のシェフの店に行ってきた。豚ヒレ肉のスカロッピーネという料理がメインだった。f:id:pppauline:20231031025854j:image

scaloppine は「薄切り」の意らしい。フランス語のエスカロープ escalope と同じ感じかな。大阪の高槻市に住んでいたとき、近所の定食屋さんのチキンエスカロップ定食が大好きでめちゃめちゃ食べてた。懐かしす。

 

細く切られた豚ヒレ肉に、ポルチーニのソースが絡む。美味い。やさしい味付け。

良かったんだけど、まだ食べ足りなくてこの後マックも食べちゃった。NYバッファローチキンバーガーってやつ。ドカーーーーーンって味だった。台無し!!これも美味いけどね。というかバッファローなのかチキンなのかどっちなんだ。

調べたらバッファローって都市の名前らしい。なるほど、英語の言葉遊びで有名な Buffalo buffalo Buffalo buffalo buffalo buffalo Buffalo buffalo. の Buffalo だ。

 

鷹橋忍『牧野富太郎・植物を友として生きる』読んだ。

 

『らんまん』の主人公、槙野万太郎のモデルとなった植物学者、牧野富太郎の生涯。とにかく金遣いが荒すぎる。万太郎よりハチャメチャに浪費してる。でも優秀すぎるし、研究に関して以外は人当たりよくて人気だから周りが助けてくれたりする。家族は大変だっただろうけど、おもしろ人生だなあ。

 

スエコザサ命名の話、史実も良いね〜〜。引用します。

富太郎は植物分類学において、最も重要な行為は植物の命名で、私情を挟んではならないと考えていた。

 そのため彼はドイツの医者で博物学者のフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(一七九六〜一八六六)が、自分の愛人の名を日本のアジサイ命名したとして、学会誌で激しく非難している。

 だが、富太郎は、仙台で見つけた新種のササに、亡き妻の名を冠して「スエコザサ」の和名と、「Sasa Suwekoana Makino(現在は Sasaella suwekoana Makino)」の学名を与えて、発表した。

 富太郎は愛する妻の名を、自分が発見したササとともに、永遠に残したのだった。このとき彼は、愛する人の名をアジサイにつけたシーボルトの気持ちが、理解できたのかもしれない。

命名に私情挟むな的な非難してたんだな。万太郎はあまりこだわってなかったような。そんな言ってたのに結局自分もつけちゃうのいいですわね〜。

 

『らんまん』は寿恵子が亡くなるところで物語が終わっていて、その後の万太郎がどう生きたかは後日談的なのでしか語られなかった。なので、最晩年の富太郎の話は興味深かった。転んだり危篤やらで何度も死にかけてるんだな。でも何度もよみがえって九十四歳まで生きた。最期の最期も生命力がすごすぎて医者が驚いてるのおもしろい。

 年が明けて、昭和三十二年一月十七日、富太郎の容体は急変し、東京大学医学部の主治医らが、牧野邸に駆けつけた。

 富太郎は、呼吸困難や循環器不全を発症し、危篤状態に陥っていた。

「もう一時間くらいしか、もたない」との診断が下されたが、それから十八時間も生き続け、翌日を迎えた。

「牧野先生の生命の限界がわからない」と主治医たちは口を揃え、「このごろは、翁(富太郎のこと)の底知れぬ生命力にまどわされて、自分の診断までおかしくなりそうだ」と漏らしたというが、さすがの富太郎も、ここまでだった。

 一月十八日三時四十三分、日本植物学の父・牧野富太郎は、九十四年と九ヶ月におよぶ、長い長い人生に幕を下ろした。

医者の診断をめちゃめちゃ揺るがせて、「生命の限界がわからない」とまで言わせてしまうのすごい。牧野博士は生命力の人だ。その源にあるのは、「好き」という気持ち。植物の研究をもっともっとしたい。動けなくなっても、生死の境にいても、大好きな植物の研究を最期の一瞬までしたい人だったんだ。

 

牧野博士の研究は終わったのか。いや、彼の代表作である『牧野日本植物図鑑』は今も、版を重ねながら進化を続けている。DNA解析による最新の分類を取り入れた改訂版もつい最近、2017年に『新分類牧野日本植物図鑑』が刊行されている。「牧野」の名を冠した植物図鑑、彼の畢生の仕事は、今でも後進に引き継がれ生き続けている。