難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

青樹の梢

高校生の頃を思い出している。陰鬱な時期であった。あまり学校には行っていない。中学時代の友人とは未だに会うが、高校の同級生とは繋がりがない。

よく本を読むようになった。詩や哲学、近代文学にハマり始めた。思春期あるあるだなあと思う。生きるとか死ぬとか、愛だとか、そういうことを知りたかった。

 

小林秀雄中原中也の思い出」が印象深い。

 二人は、八幡宮茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙っていた。彼は、ビールを一と口飲んでは、「ああ、ボーヨー、ボーヨー」と喚いた。「ボーヨーって何んだ」「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」と彼は目を据え、悲しげな節を付けた。

茫洋。当時の私にいちばん響いた言葉だった。まあ、いまも変わらず前途茫洋だけど。ボーヨー、ボーヨー。

 

 

わが若き日は懊悩の渦に飲み込まれた。あれこれ苦しんだ末に「我は何物をも喪失せず、また一切を失ひ尽くせり」という感じになってしまった。亡霊になった心地である。クノップフの描いた《忘れられた街》など思い浮かぶ。

 

けれども最近は「なやみ」を取り戻しているように思う。たいへん煩わしい。だけど、生きている感じはする。