難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

無添

週末にライブがあるので今週はスタジオ練習多めだった。疲れるけど楽しい。

曲もしっかり覚えて弾き慣れてくると、少し余裕が出てきて、細かいところまで「ここもっとこうした方がいいな」と気がつくようになった。良くもあるし悪くもある。細かいところまで考えすぎて、全体として演奏が合わなくなったり。難しい。考えたり考えなかったりしながら演っていきましょう。

 

pha『しないことリスト』読んだ。

世の中の「しなきゃいけないこと」の大半って、しなくてもいいことだったりする。ショッピングとかけっこうそうなんだよな。どうしても絶対に欲しいものってそんなにない。次の日になると「要らんかもな」となる。

寝る前にぼんやりAmazon見るのは危険だ。すぐにポチッと買えてしまう。ほしいものリストに入れておいて一旦満足して寝ると、朝起きたときには「要らんかも」になっていがちなので、すぐにポチらない方がいい。ほしいものリスト、増え続けていて一向に減らない。いいなとは思うけどなくても困らないものリストになっている。

 

今年の流行のファッションはこれ!とか、この機器がないと時代に乗り遅れる!みたいな売り文句が嫌いすぎる。だからどうしたのって感じだ。なんかこう、買わなきゃヤバいみたいに半ば強制されてるのが嫌すぎ。それが好きだったり必要なのであれば買えばいい。

 

あと、やっぱり面倒な頼まれごとみたいなのもできるだけやりたくない。そのために「自分を大きく見せない」というのが有用だ。

 他人には「こいつはダメな奴だし変な奴だ」と思われていたほうがラクだ。そのほうが「この人はこういうことをやってくれるはずだ」とか「この人に任せよう」みたいな期待を押し付けられずに済むからだ。他人から期待されないほうが自分の好きなように行動しやすい。

好きなように動けるのが一番いい。面倒なことがなくなると、それだけやりたいことや大事な人たちのために時間と体力を使える。ゆっくり休んだりもできる。「なんでもできる人だ」と皆から頼られるのも誇らしいかもしれないが、私には荷が重い。

 

でもこれ、かなり自信が必要なことだなとも思う。「ダメなやつだなあ」と周りに思われていても意に介さないのは、めちゃめちゃ強い。私は弱い人間なので、寄りかかれるなにかが欲しい。著者みたいに京大卒とかの紋所があればいいんだけど、私にはなにもない。なので積極的に知識を取り入れ、披露するようにしている。せめて「なんか色々知っているやつ」くらいになっておきたい。そうすればただのダメすぎ無能人間みたいな評価は下されないですむんじゃなかろうか。そうだったらいいな。

 

それと、澁澤龍彦が『快楽主義の哲学』で書いていた「韜晦」の技法を大いに参考にしている。

 むしろ、すすんで相手に誤解の材料をいっぱい提供してやり、自分のまわりに誤解の煙幕をもうもうと張りめぐらして、その煙幕のなかに、自分の真実の姿をかくしてしまったほうが、はるかに気がきいているではありませんか。こういうやり方を「韜晦」(ミスティフィカシヨン)といいます。(中略)

 正体のわからない人物というのは、魅力的なものです。世間なんて甘いもので、いつも黒めがねをかけている正体不明の人物には、なんとなく複雑な陰翳がありそうな気がして、つい敬意を表してしまうのです。

あまり自身のことは話さず、学問・文化・芸術などの話題を広げていく。「なんかよくわからんけどすごそうなやつだ」と思わせたら勝ち。そこからは勝手に良く評価し続けてくれて、ぞんざいにも扱われない。いい感じで楽な付き合いができる。

 

うまく楽して生きていきたいものです。いいとこだけ取りたい。大トロ人生。いやでも大トロはいっぱい食べると気持ち悪くなっちゃうから、中トロがいいな。バランス良いし。中トロ人生で。