難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

Qui suis-je ?

バカであるよりも似非インテリである方がずっとダサいかもな〜と、ふと思った。

バカのコミュニティーに属するには、わりとコミュニケーション能力が要る。頭カラッポにしてしょうもない話で延々盛り上がらなければならない。そこでは特に新しい発見もないし誰にも成長がないから、愚痴や下ネタ、昔すごかった武勇伝なんかをぐるぐると一生喋っている。こういう輪に入るのは苦痛だ。少なくとも私には耐え難い。ものすごくつまらないから。よくずっとその話してられるな〜って思う。あと、みんながそれぞれのことうっすらバカにしてるっぽいのも嫌すぎる。結論、ダサいな〜ってのはあんまりないけど、つまんなそうだからあんまりその輪に入りたくないな〜って感じ。

 

一方、似非インテリは楽だ。すごい人たちの近くに居るだけでいい。本当に何の能力も必要としない。何にもしてないのに自分もそのコミュニティーの一員になったと思い込んでいる。隅っこでヘラヘラしてるだけなのに。

知的なコンテンツやインフルエンサー、芸能人なんかのファンであることを強くアピールする人たちもそう。「このコンテンツ面白いんだよな〜。ちょっとみんなにはわからないかもしれないけど」とか言い出す人。じゃあその話すんじゃねえ!ってなる。このコミュニケーションは一方的だ。「こんなハイレベルなコンテンツを楽しんでいる自分」に酔って、「みんなにはわからない」でマウント取っている。悲しい生き物だ。それしか考えてないので、詳しく聞いてみてもそいつなりの考察みたいなのは出てこないがち。それもそのはず、そいつなりの考察が存在するならば、みんなにも楽しめるように敷衍できるはずだから。似非インテリ、つまんないし悲しいしダサい。

 

バカのコミュニティーから抜け出して、金魚のフンみたいな似非インテリからも脱却するためには、愚直に自分の能力を伸ばし続けていくしかない。これはめちゃくちゃしんどい。しんどいけども、尊敬できる人たちと肩を並べたければ、当然ながら自分も尊敬されるような人間にならなきゃダメだ。私は互いをうっすらバカにし合ってる人たちよりも、互いを尊敬し合ってる人たちで肩組みたい。

「なんで自分なんかがこのコミュニティーに……」とか言う人いるけど、そんなので悩むくらいなら、「とにもかくにも認めてくれてはいるんだろうから、自分なりの強みを探して高めていかねば」と悩んだほうがいい。前者は金魚のフンにとどまり、やがて消える。

 

とそんなことを書いたのも、いま絶賛アイデンティティ・クライシスに陥っているからなんですね。定期的にくるんだよな〜。そもそも何にも突出してないから陥って然るべきなんだけど。これには一生悩んでいくんだろうな。しんどいしんどい!