難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

ぺえぺえ

忘年会の計画がいくつか進んでいてワクワクしてる。みんなで飲み食いしながらしゃべるの好きなんだよな〜。12月が楽しみ。

 

春日武彦平山夢明『「狂い」の調教』読んだ。

精神科医とホラー作家のコンビ。重いテーマも扱っているが、諧謔があってところどころ吹き出しちゃうくらい面白い。コロナにかかった経験をワクチン接種の回数に入れるヤツの話で、春日先生が「川崎にしかいないよ、そんなヤツ」とか鋭利にツッコんでて笑った。

 

興味深かったのは、「果たして、この世の中は狂ったのか?」の話。春日先生がこう語っていた。

今は意外と理性的、理屈立ってものは考えてる気はするよね。ただ、それが陰謀論的なとんでもない理屈だったりする。

(中略)やっぱりどこか根本的に間違ってる。「理屈では正しいけれど、実は間違ってる」っていうことがものすごい乱立している印象があって。

ただ、「これはおかしい」「こっちが正しい」って、うまく言い切る方法がなくて、「なんか違和感ばっかり」な気がするんですよね。そうなるとさ、「論破した」とか勢いのいいヤツばかりが強引にいっちゃう。「いや、これは理屈としては泥臭いけれど、やっぱりこの地道なこれが一番だよね」みたいな考え方はどうも旗色が悪くてね。いかにもスパーッと遠くまで見通せるような、一見そう見える勢いのある理屈が勝っちゃって。それで変な方向に行ってる気はするよね。

確かにそうだ。今の人たちは何も考えてないわけじゃなく、自分なりの理屈を立てている。それがぴっちりハマってしまえば、とんでもなくヤバい論でもすんなり信じてしまう。

とりあえずなにか「答え」がないと不安なんだろうな。世の中答えのないことだらけだし、ホント泥臭く思考し続けていくしかないんだけど、「そういうのしんどいんで答えくださいよ」ってなってきてる。それでインスタントな答えっぽいの提供してくれるヤツが人気出ちゃう。

学生時代に文学に熱中してよかったなって思う。答えがなさすぎるものとそれなりに向き合う経験、大事だ。文学なんぞ何の役に立つんだ!と言われてるけど、人生の役には立つんじゃないか。

 

あと印象に残ったのは、「狂気に立ち向かうための処方箋」の章でしていた片付けの話かな。仕事が全然進まない状態に陥ってしまった平山氏が、春日先生に診てもらって、「とりあえず部屋をキレイにしろ」と言われた。言う通りに片付けたら仕事がポンポン進んだ、みたいな話。

僕、その年に3〜4冊出したんですよ、怪談。一気に出せて。先生に「どうしたことですかね?」って言ったら、先生がおっしゃったのがね、僕はいまだにそれは確かだなと思ってるけど、「頭脳労働をしたり創作活動や仕事といったタスクをこなしていくときに必要なのは『人間としての環境』であって、汚いとか、ぐちゃぐちゃになってると『巣』になっちゃう」っていう。

「動物の巣と一緒だ」って。そこでは能率が──脳の中の活性が全然高まらないんだ。ただ居心地はいいわけ。自分の匂いとか、そんなのはもうべちゃべちゃついてるから、「そこでは人間としての脳の活性みたいなもののレベルが下がっちゃうからダメだよ」って

「部屋を掃除するといい」って話よく聞くけど、「巣」になっちゃうからダメっての納得感あっていいな。大学生のときの自分の部屋が完全に「巣」だったんだけど、本当に作業進まなかったもんな。集中したいとき、だいたい大学の図書館に行ってた。静かでキレイで、よき「人間としての環境」だった。

 

それと「被害者意識と面倒くささ」の話、思い当たるヤツが居すぎて「わかる〜〜〜〜!!」となった。

僕はアメリカの犯罪者とかを調べたり、インタビューもしたんですけど、ものすごい大量虐殺をやって、どう見たって悪いのはお前だろうってヤツはもう、全員被害者意識なんです。

俺はやりたくて人を殺したんじゃない。社会が悪い。上司が悪い。彼女が悪い。誰々が悪いって。その被害者意識を簡単に手に入れちゃうのも、やっぱその面倒くさいから。手っ取り早いんでしょうね。

自分は可哀想な存在だ、被害者だ、なので何をしてもいい、みたいな人ね。嫌いすぎる。この被害者意識も安易な「答え」だと思う。でもう考えるのやめちゃって、どんなことでもしていい、許される、だって被害者なんだから、みたいな。しょうもね〜〜。

「自分なんて全然ダメなんです」の人たち大嫌いだ!!ってこれまでも何度も書いてきたけど、このしょうもなさあるからかもしれない。それ言っときゃ許されると思ってヤバい言動バリバリするから。で、その状態が楽だから「ダメ」を脱却するつもりもない。なので反省しない。ヤバい言動繰り返して、その度に「やっぱ自分はダメだなあ」とか言って。キッショいキッショい。成長せい!

 

外を見るともうまっ暗。そろそろ大河が……と思ったけど今日祝日で木曜だっけ。なんも見るものない日だ。本を読みませう。

鵺野某介

季節のイベント大好きマンなのだけど、ボジョレー解禁にはピンとこないのなんでだろう(なんでだろう)

解禁前日に行きつけの角打ち酒屋に行ったら、お店のお母さんに「明日来ると思ってた」と言われて「え?明日なんかあるんですか?」となったくらい。

数年前は解禁の0時ぴったりに飲むぞ!って会を色んなバーでやってたけど、いまあんまない気がする。この辺が田舎だからとかもあるんですかね。でも昔ほどボジョレー話題になってない感じする。

 

オーストリアの新酒は飲んだ。ホイリゲといって、11月11日が解禁日。一応。そんな厳密ではないらしい。

Zahelという造り手の新酒を楽しみながら、オーストリア料理を食べた。シュニッツェルとか。美味すぎる。好きな食べ物に加えたいくらい良かった。レモン絞って、めっちゃあっさり。これと白が合う。ゲミシュターサッツという、ごちゃ混ぜの品種が植えられた畑で収穫して醸造する製法の白。毎年味が違っておもしろい。細かくは覚えてないけどな!がっはっは!

 

今週、インプットが貧弱すぎる。もう金曜が来るというのに、なんにもできてない気がする。さすがに焦る。

Beatlesをずっと聴いている。最新の赤盤青盤を買ったので。赤盤のリマスタリングすげえな。楽器がバラけてて臨場感すごい。I Saw Her Standing There とか感動した。

てなわけで赤盤の2枚ばっか聴いているので、まだ青盤は一度も再生していないという。はよ Now And Then を聴け。

でもすれ

昨日の『どうする家康』見た。もう関ヶ原の戦いですな。終盤も終盤。あと数回だな〜。

治部(石田三成)の最期の言葉、ラスボスが言いがちなやつだ。「この私の内にも、戦乱を求むる心が確かにあった」「それは、誰の心にもある」恐ろしい呪いの言葉のように思われた。「戦なき世など、なせぬ」

家康だっていつこの火種が燃え上がるか知れない。いや、これまでにも何度かあった。確かにそれは、誰の心にもある。

 

もうなんか怖かったもんな治部。こないだ読んだ『闇に魅入られた科学者たち』でもあったけど、状況が人を呑み込むやつだ。フェアシュアーとか多分、当時のユートピア的理想に邁進して「間違ったことはやっていない」という信念のままナチスに呑み込まれていった人なんだよな。許されることではないけど、こういう火種は本当に誰の心にもある。

不可抗力かもしれないけど、でもなんとか抗っていきたいな。自制に限界があっても、私にはありがたいことに怒ってくれる人たちがまだ居てくれてるので、大事にしていきたい所存。お主が鬼になったときは、拙者がきっちり斬るからよ!

雑ポ

しばらく書けてなかった。こういうときって思考がまとまらない。だからこそ書けって話なんだけど。

めちゃくちゃ偏屈期に入っていた。インプット頑張ってるときってこうなるのかも。「ほんとか??これ」「なにを根拠に??」みたいな姿勢でいるから、雑談でもそうなっちゃってる。本来は家で黙々とインプット続けてたほうがいいんだけどね。わかってんならそうしなさいね。

 

いまけっこう無の期間かもしれない。あまり何もやる気がしない。暗〜〜〜〜〜〜〜〜〜い感じになってる。

こういうときはイヤな小説読んだり映画見たりがいいんだよね。よく馴染むから。でもその気も起きなくてオモコロチャンネルばかり見てる。ずーっと見てられるオモコロが悪い。

 

日曜だった。お昼はメエルシュトレエムのような絶望の渦に呑まれていたけど、思い切って舵を切ってみたら、夜はわりと大海に出られたように思う。やる気も出てきた。それでこれを書いている。

おいおい、明日は早起きなのにもう2時きてるぞ。こんだけ書くのにめっちゃ時間かかってしまった。まあでも今日はこんなんで良い。寝るぞ寝るぞ寝るぞ。

吸血鬼奇聞

私は、旅館、料亭、小料理屋、酒場、喫茶店などは文化そのものだと思っている。そこで働く人たちも文化である。私自身は、そこを学校だと思い、修業の場だと思って育ってきた。

何度か引用してきた山口瞳『行きつけの店』あとがきの一節を、懲りずに引用した。これから書こうとしているのは、「行きつけの店」であり「学校」の話であるからだ。

 

行きつけのバーが先月末(先週土曜に臨時営業もあったが)閉店となった。学園がコンセプトの一つとしてあって、店名にも「学園」と付いていた。初めは「いかがわしいお店みたいだなあ」と思った。実際、夜中に勘違いして来るお客さんも多かったのは、今となっては笑い話だ。

店主(学園長)が以前働いていたバーで初めて会ったときの記憶は朧げだが、この店に初めて来たときのことはよく覚えている。ドキュメンタリー映画三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』(2020年(令和2年)3月20日公開)が話題になっていた頃で、学園長と三島の話で大いに盛り上がった。私はこの頃、文学や言語、映画に音楽などを気軽に語らえる場を求めていた。

すぐに気に入って通うようになった。分野は違えど、ここに来る人たちは、そんな知的好奇心豊かな人が多いように感じられた。時には冗談交じりに、時には大真面目にアレコレ語り合った。哲学の話。科学の話。時事。おもしろ心理学実験。われわれで国を作る話。人生について。店を出ると外が明るい、ということも何度かあった。

 

この場所は「学校」だった。名前がそうとかではなく。

学びの場であり、出会いの場でもあった。なぜか同年代のお客さんが多く、なんなら小中学校の同級生と再会したりもした。この店がなければ再び交わることはなかっただろう。縁とは不思議なものである。縁が縁を呼ぶ。あんま縁縁言ってると怪しいビジネスっぽいからこの辺にしとこう。

 

社会においての「当たり前」を、忘れかけていた大切なことを復習させてくれた場でもあった。やらかしたとき、うだうだ変な自己正当化で言い訳したりせず、さっさと「ごめんなさい」しに行く、とか。勇気の要ることだけど、対面できちんと話すことから逃げない。それができた。失敗だらけの私を見捨てずにいてくれた皆のおかげだ。お前らってホント最高の仲間!友情に感謝!青春に乾杯!あんま言ってるとマイルドヤンキーっぽいからこの辺に。

 

茶褐色のレトロ風な階段を三階まで上がって、細長く怪しい通路を奥まで入れば、その店があった。空間としてはまだある。しかし、場所としては、もうない。

通路を進んでいるときに聞こえてくる笑い声や、カラオケの歌声。それで「ああ、誰々が来てるっぽいな」ってわかる感じ。それが、もうないのだ。

でも、私たちがあそこで過ごした日々は消えない。あそこに新しい店が入って全く変わってしまっても、不気味な赤い壁や、鍵が普通と逆のトイレ、グニャグニャの椅子、瓶詰めされた幽霊など、決して忘れない。ビルが建て替えとなり消えてしまっても、あのダルい階段、一階に集まっていたネコ、DJイベントのとき陰の軍団で固まってた踊り場、忘れない。

不思議な気持ちである。悲しいとか、寂しいとかじゃなくて。ただ不思議。


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久しぶりにあの曲を聴く。吉田凜音『忘れない Place』大切な曲。最後に引用して終わろう。

どこにいても

私たちの過ごした日々は

心の大切な場所にある

 

Anytime Anyplace

くだらない笑い話ほど

懐かしく思い出すものよ

Anytime Anyplace

私たちを繋いだ歌は

耳元で優しく響くよ

どこにいても

ほら、大好きなメロディ

口ずさめばいつも一緒だから

 

忘れない Place

RINNEEE 忘れない Place 歌詞 - 歌ネット

チェン

NHKフランケンシュタインの誘惑」制作班『闇に魅入られた科学者たち』読んだ。

この番組でよく覚えているのは、「握りつぶされたブラックホール」の話。スブラマニアン・チャンドラセカールって名前の響き良すぎて、三日間くらいブツブツつぶやいて記憶した思い出。スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテとか、あの感じ。覚えたくなるよね。小学生は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」覚えがち。

っていうくらいで内容はそんなにっていう不真面目な視聴者だった。でも結構見てる。ロボトミーとか人体蘇生の回も見てる。吉川晃司の語りが不穏でいい雰囲気出してんだわこれが。

 

今回の書籍化にあたっては、人体実験に関係するテーマに絞り五人の科学者が紹介されている。

「切り裂きハンター 死のコレクション(外科医・解剖学者 ジョン・ハンター)」

「“いのち”の優劣 ナチス 知られざる科学者(人類遺伝学者 オトマール・フォン・フェアシュアー)」

「脳を切る 悪魔の手術ロボトミー精神科医 ウォルター・フリーマン)」

「汚れた金メダル 国家ドーピング計画(医師 マンフレッド・ヒョップナー)」

「人が悪魔に変わる時 史上最悪の心理学実験(社会心理学者 フィリップ・ジンバルドー)」

 

ジョン・ハンター、大男の遺体を意地でも手に入れようとする話で有名だから、めっちゃ死体を解剖しまくった医者っていうのは知ってたんだけど、農家の息子でしかも学校で医学を修めたりとかしてなかったのね。瀉血が当たり前の時代だったから、開業医である兄の手伝いとかから外科医になれた。で、座学ではなくてバリバリに解剖しまくって人体を理解していったと。すごいな。

ジキル博士とハイド氏』はわかるけど、『ドリトル先生』のモデルにもなってたっていうの知らなかった。知らなかった方がよかったやつだ。怖〜〜。

 

優生学ナチスの虐殺行為と結びついて悪名高いイメージが強い。でも「民族全体を救う」っていう善意から走り出してるんだよな。確実にその善意は地獄へと繋がっているんだけど。そのときの社会的な流行とか、政治的な力とか、そういうのを吸収して、善意は暴走していきがち。

「いやあ昔は恐ろしい考え方が暴走しちゃってたんだな」で終わる話ではない。出生前診断、ゲノム編集。「望ましくない」人間を作らない、そんな理想は現代でも燃えていて、近い将来には倫理観を焼き尽くしてまた暴走を始めるかもしれない。

 

ロボトミーの回は見た。フリーマンという名前も覚えてる。正直やっぱりマスコミで広まったものって信用できないよね。ロボトミーの事例もこの考えを強めた。「なんかすごいらしいし話題になってるからあの治療受けさせてみよう!」で脳を切らない方がいい。当時の精神病に対する風当たりは現在とは違うし、藁にもすがる思いだったのかもしれないけどさ。

しかしこの「悪魔の手術」のおかげ(?)で、どこを切り取るとどうなるって感じで記憶のメカニズムが解明されて研究が進んだのは、なんというか皮肉っちゃ皮肉だけど、転んでもただでは起きない科学の意地みたいなのを感じてよかった。

 

ドーピングの回も確か見た。この辺になってくると、親世代は普通に旧東ドイツメダルラッシュを見て、発覚の報道もリアルに見てるんだよな。すごい。私からするとベルリンの壁崩壊もめちゃんこ歴史的事象なんだよね。なので不思議な感覚。歴史の事件だけど、そこまで歴史じゃない。

 

最後の章をスタンフォード監獄実験の話でまとめるの巧い。「状況」に飲み込まれて、人は悪魔にもなる。研究者として観察していたジンバルドーすらも、自信が作り出した監獄に捕らわれて、いつのまにか「監獄長」になってしまっていた。恐ろしい話だけど、抗えないものなのだろう。他の「闇に魅入られた科学者」たちも。

余談。スタンフォード監獄実験って有名だけど、ジンバルドーって名前は聴き馴染みなかった。なんなら『服従の心理』のスタンレー・ミルグラムがやったんだっけ?とか思ってた。雑談で知ったかぶりしてやらかす前にこの本読めて良かった!!

 

病院の待ち時間に読んだので、なんかマッチしてて良かった。青森で太宰治津軽』読む的な。まあ読んだことないし青森も行ったことないけど!

赭鞭

いつも行く角打ち酒屋さんで知り合ったイタリア料理のシェフの店に行ってきた。豚ヒレ肉のスカロッピーネという料理がメインだった。f:id:pppauline:20231031025854j:image

scaloppine は「薄切り」の意らしい。フランス語のエスカロープ escalope と同じ感じかな。大阪の高槻市に住んでいたとき、近所の定食屋さんのチキンエスカロップ定食が大好きでめちゃめちゃ食べてた。懐かしす。

 

細く切られた豚ヒレ肉に、ポルチーニのソースが絡む。美味い。やさしい味付け。

良かったんだけど、まだ食べ足りなくてこの後マックも食べちゃった。NYバッファローチキンバーガーってやつ。ドカーーーーーンって味だった。台無し!!これも美味いけどね。というかバッファローなのかチキンなのかどっちなんだ。

調べたらバッファローって都市の名前らしい。なるほど、英語の言葉遊びで有名な Buffalo buffalo Buffalo buffalo buffalo buffalo Buffalo buffalo. の Buffalo だ。

 

鷹橋忍『牧野富太郎・植物を友として生きる』読んだ。

 

『らんまん』の主人公、槙野万太郎のモデルとなった植物学者、牧野富太郎の生涯。とにかく金遣いが荒すぎる。万太郎よりハチャメチャに浪費してる。でも優秀すぎるし、研究に関して以外は人当たりよくて人気だから周りが助けてくれたりする。家族は大変だっただろうけど、おもしろ人生だなあ。

 

スエコザサ命名の話、史実も良いね〜〜。引用します。

富太郎は植物分類学において、最も重要な行為は植物の命名で、私情を挟んではならないと考えていた。

 そのため彼はドイツの医者で博物学者のフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(一七九六〜一八六六)が、自分の愛人の名を日本のアジサイ命名したとして、学会誌で激しく非難している。

 だが、富太郎は、仙台で見つけた新種のササに、亡き妻の名を冠して「スエコザサ」の和名と、「Sasa Suwekoana Makino(現在は Sasaella suwekoana Makino)」の学名を与えて、発表した。

 富太郎は愛する妻の名を、自分が発見したササとともに、永遠に残したのだった。このとき彼は、愛する人の名をアジサイにつけたシーボルトの気持ちが、理解できたのかもしれない。

命名に私情挟むな的な非難してたんだな。万太郎はあまりこだわってなかったような。そんな言ってたのに結局自分もつけちゃうのいいですわね〜。

 

『らんまん』は寿恵子が亡くなるところで物語が終わっていて、その後の万太郎がどう生きたかは後日談的なのでしか語られなかった。なので、最晩年の富太郎の話は興味深かった。転んだり危篤やらで何度も死にかけてるんだな。でも何度もよみがえって九十四歳まで生きた。最期の最期も生命力がすごすぎて医者が驚いてるのおもしろい。

 年が明けて、昭和三十二年一月十七日、富太郎の容体は急変し、東京大学医学部の主治医らが、牧野邸に駆けつけた。

 富太郎は、呼吸困難や循環器不全を発症し、危篤状態に陥っていた。

「もう一時間くらいしか、もたない」との診断が下されたが、それから十八時間も生き続け、翌日を迎えた。

「牧野先生の生命の限界がわからない」と主治医たちは口を揃え、「このごろは、翁(富太郎のこと)の底知れぬ生命力にまどわされて、自分の診断までおかしくなりそうだ」と漏らしたというが、さすがの富太郎も、ここまでだった。

 一月十八日三時四十三分、日本植物学の父・牧野富太郎は、九十四年と九ヶ月におよぶ、長い長い人生に幕を下ろした。

医者の診断をめちゃめちゃ揺るがせて、「生命の限界がわからない」とまで言わせてしまうのすごい。牧野博士は生命力の人だ。その源にあるのは、「好き」という気持ち。植物の研究をもっともっとしたい。動けなくなっても、生死の境にいても、大好きな植物の研究を最期の一瞬までしたい人だったんだ。

 

牧野博士の研究は終わったのか。いや、彼の代表作である『牧野日本植物図鑑』は今も、版を重ねながら進化を続けている。DNA解析による最新の分類を取り入れた改訂版もつい最近、2017年に『新分類牧野日本植物図鑑』が刊行されている。「牧野」の名を冠した植物図鑑、彼の畢生の仕事は、今でも後進に引き継がれ生き続けている。