難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

fractale

 意識以前の無意識も、意識による説明をまたねばならぬ。意識から独立した心の構造も、理性的意識による再構成、それも遠い迂路を踏む、あれこれと手段を尽さねばならぬ再構成をまたなければならない。

感情の処理に時間がかかる。というか切り替えが下手。別に心の研究をしているわけでもないのに。

「心という実在の気味の悪い拡がり」とやら、煩わしい限りだ。それでも愚直に見つめてしまう。阿呆だよなあ、と思う。そこそこ生きてきたのだから、もう少し要領よくできるだろうに。

 

物事はシンプルである。強く心を揺さぶる感情、それがいかに複雑に絡まって表出されたものであっても、根源は単純なものだ。しかしだからこそ、見誤ってはならないとも思う。慎重に掘り出さなければ、きっと途方もなくズレてしまう。単純な答えに辿り着くまでには、やはり複雑な路をゆかねばならぬのではないか。

 

悲しみに対し、これをととのえようと、肉体が涙を求めるように、悲しみに対して、精神はその意識を、その言葉を求める。

「言葉」の姿を見つめたい。意ではなく姿。絶対的な動作の姿を。