難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

妖怪人間

行きつけの立ち飲み屋さんのお母さんに本を頼まれたので買いに行った。芥川の『羅生門・鼻』と、漱石の『文鳥夢十夜』(どちらも新潮文庫)。お客さんと本の話をしていて、久しぶりに読みたくなったらしい。

最近は文庫本でも1000円近くするものが多い。でも『羅生門・鼻』は370円だし、『文鳥夢十夜』は430円(共に税別)だった。牛丼買うくらいの値段で歴史的名著が買えるって、改めてすごい。

 

歴史的名著、と書いて、小林秀雄『無常という事』の一文を思い出す。「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ」

そんなことについて、ある日ある考えが浮かんだ小林は、たまたま傍にいた川端康成(そんなことあるのか)に、こんな風に喋った。

「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」

はっきりとしっかりとした常なるもの、人間の形をしたあの美しさに、われわれは老若男女問わず惹きつけられる。…はずである。

 

それと同時に、やはり現在の生きている私は、動物的にあれこれ考え、突拍子のないことも言い、時にはやらかし、自分でもよくわからんことをやっていこうとも思った。