難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

UU2

一日雨だった。そこそこ強い雨の時間帯もあったので、桜は散っちゃったかもしれない。今週末花見なんだけどな。ちょっとは生き残っていてくれ。

 

重めのストレスが投下されて、耐えきれずに電話で助けを求めてしまった。いつもなら散歩しながらアレコレ考えたり、ジョギングで気分転換したりして感情を整理するのだけど、今日は天気的にそれが難しかったので、「助けてくれ〜〜」という感情を突然電話で投げつけてしまった。大反省。

みんなそれぞれストレスと戦いながら、散歩したりコーヒー飲んだり、映画見たり音楽聴いたりで、そうして絶妙なバランス保って過ごしているのに、いきなり平穏を切り裂くようなことをしちゃいけない。苦しむ人間を一人増やしてしまったにすぎない愚行だ。超反省。

 

いっさい助けを求めてはならぬ、というわけではない。それは無理。焦ってボム兵を渡すみたいな助けの求め方が良くない。感情の暴走に任せるな。巻き添えにして共に爆死して何になる。ある程度は自分で解除する方法を探りつつ、そこで無理なら助けを求めて、共に解除する。それが理想。

でも理想は理想で、やっぱり無理なときってある。雨の日とかね。許しておくれ。

 

そういえば昔、雨についての詩を書いたことがあるのを思い出した。萩原朔太郎「憂鬱の川邊」に影響されまくった詩だった。日々の苦しさみたいなものを表現したかったのだと思うのだが、ただの朔太郎の劣化版コピーでしかない。でも「雨」には連続的で淡々とした鬱屈さを感じていて、だからその詩を真似たのだと思う。

「憂鬱の川邊」、ここでも何度か引用している気がするが、また引く。いい詩は何度だって引く。

げにそこにはなにごとの希望もない

生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ

梅雨だ

じめじめとした雨の點滴のやうなものだ

しかし ああ また雨! 雨! 雨!

ホンモノの凄みは段違いだ。相変わらず暗いな〜とは思うのだけど、いま読むと少し感想が違う。梅雨のあとって夏だよな。「しばらく雨続くけど、じき夏来るじゃん」という考えが当時まったく無かった。憂鬱にずぶ濡れ続けることができなくなってきたのかも。

大人になるってどういうこと?と訊かれたら、「永遠の梅雨を失うこと」とでも答えよう。