難聴亭日乗

つれづれなるままに その日ぐらし

ホロビ

昼間あったかすぎて、パンとカフェオレ買って公園でまったり食べたりしている。春だね。好きな季節だ。

 

最近は太宰治『右大臣実朝』を読んだ。大学生のときに読んであんまりわからなかったのだけど、去年『鎌倉殿の13人』を見たおかげで、実朝を取り巻く時代背景やら登場人物の知識がけっこう習得できていて、今回は楽しめた。

読んでいて小林秀雄「実朝」を思い出した。「実朝」が書かれた昭和十七年は、実朝生誕七百五十年の節目だったそうで、実朝についての文章が盛り上がっていたようだ。太宰のこの小説は翌年書かれている。

 

『鎌倉殿』の主人公だった執権北条義時が、わりとボロクソに書かれていて笑った。

私たちの見たところでは、人の言うほど陰険なお方のようでもなく、気さくでひょうきんなところもあり、さっぱりとしたお方のようにさえ見受けられましたが、けれども、どこやら、とても下品な、いやな匂いがそのお人柄の底にふいと感ぜられて、幼少の私どもさえ、ぞっとするようなものが確かにございまして、あのお方がお部屋にはいって来ると、さっと暗い、とても興覚めの気配が一座にただよい、たまらぬほどに、いやでした。よく人は、源家は暗いと申しているようでございますが、それは源家のお方たちの暗さではなく、この相模守義時さまおひとりの暗さが、四方にひろがっている故ではなかろうかとさえ私たちには思われました。

このあともずっとめちゃくちゃ言われていて、なんなら「それほどの陰気なにおいが、いったい相州さまのどこから発しているのか、それはわかりませぬが、きっと、人間として一ばん大事な何かの徳に欠けていたのに違いございませぬ」とまで言われている。義時かわいそう。でもまあこの小説が書かれた時代を考えると、承久の乱を起こした逆賊なので致し方なし。尊氏なんかも扱い悪かったっぽいし。それにしても「たまらぬほどに、いやでした」から伝わってくる生理的に無理な感じすごい。

 

太宰、悪口のキレすごいな〜と、併載されている随筆「鉄面皮」を読んでいても思った。

もともと芸術家ってのは厚顔無恥の気障ったらしいもので、漱石がいいとしをして口髭をひねりながら、我輩は猫である、名前はまだ無い、なんて真顔で書いているのだから、他は推して知るべしだ。所詮、まともではない。賢者は、この道を避けて通る。

自分なんて、ほんと、アレですから、死にますから…みたいな姿勢からめちゃくちゃ殴ってくるスタイル。怖い。

 

あと巻末、安藤宏(太宰の研究者)の解説よかった。

ちなみに小林秀雄が評論『実朝』で強調したのもまた、政治的闘争とは別次元に生きた、ナイーブにして孤独な、内省的な詩人の姿であった。政治的思惑から実朝を解放し、天衣無縫に、孤独に生き抜く姿を評価する点で、小林と太宰は明らかに共通点を持っている。人は歴史を振り返る時、ともすれば世俗的な観察をもとに、現代人の心理や人間関係を安易に投影しがちだ。だがこうした通俗的な誘惑をあえて忌避してみせた点で、昭和を代表するこの二人の文学者の実朝像は見事に一致するのである。

また改めて小林の「実朝」読み返さねば。ほんと新潮文庫『モオツァルト・無常という事』すごすぎる。